となりのしばふ

日々の記録と内省と

雑記220223

昨日がスーパー猫の日とのことで、時々出てくる猫のこと。今年の秋でいっしょに暮らし始めて15年。15歳といえば立派なおばあちゃん猫でふくよかな見た目をしているのだけど、童顔ゆえに顔だけはいつまでも子猫のように見える。彼女は私が高校生のころに里親を探していた友人から譲り受けた猫だ。友人から4匹の子猫が写った画像を見せられて、連れて行くから好きな子を選んでほしいと言われたのだった。4匹とも全部キジトラで、どれもこれもほとんど変わりない印象だったけど、口元からおなかにかけて白い子が2匹くらいいて、なんとなくどっちかの子がいいなと思っていた。ところが譲渡当日、友人が抱えていた段ボールの中にいたのはたった1匹。おなかの白くないメス猫が、こちらを見上げてびゃーと鳴いた。「この子でいい?選んでほしいって言ってたのにごめんね」と言う友人にも猫にも申し訳なくて嫌とも言えず(全然嫌ではなかったのだけど)、またこの猫がたった一匹で私のもとに来たのも縁とか巡り合わせのような気がして、そのままもらい受け、今に至る。

友人にはあえて聞かなかったけど、他の兄弟は先にもらわれていって、彼女はいわゆるあまりものだったのだと思う。ところがこのあまりものはとてもよくできた猫で、家に来た日から今まで粗相をしたことがないし、人間の食べ物には手を出さないし、機嫌が良ければ名前を呼ぶと返事もする。若いころは脱走癖があり、それには苦労させられたけど、落ち着いてからは晴れた日の午後に外に出て、車庫から通りを眺めることを楽しみにしている。時々、私は冗談で「君はお利口だけどおなかが白ければもっとよかったのに……」と話しかけるのだけど、当の彼女はちっとも気にせず「そんなことより撫でてください」と体をぶつけてきてごろりとおなかを見せる。そういう安心しきって無防備にしている姿を見ると、おなかの白さなんてどうでもよくなって、この利口で愛嬌のある猫が家族になってくれてよかったなあと心から思う。

去年の春ごろから老いのせいか眠ることが多くなった。そして年を経る毎に甘えた性格になっていく。膝の上にのせてくださいと言って鳴き、耳の後ろをかいてくださいと言って鳴き、ごはんを食べるところを見ていてくださいと言って鳴く。ところが人間というのは猫が思っているより時間に追われて生きていて、毎回は要望にこたえられないので、そういう時は誰かの近くで渋々丸くなっている。毎日幸せそうで何よりである。穏やかに長生きしてもらいたい。